平素より崇敬者各位におかれましては、当大社に対し格別なる御崇敬をいただき篤く御礼申し上げます。
御祭神・宗像大神は、天照大神の神勅に基づき皇室国家の守護を使命に此の地に鎮座されました。この御由緒にふさわしい姿を後世に引き継ぐため、宗像大社平成ノ復興期成会が中心となり本年より三宮諸施設の再整備を行うこととなりました。
各位におかれましては。当大社の御神徳顕揚の意義を御理解頂きまして、格別の御協賛を切にお願い申し上げます。
宗像大社宮司 葦津敬之
事業概要
〔第1次〕辺津宮本殿・拝殿、防災施設他
〔第2次〕中津宮、第二宮第三宮、他諸社殿
〔第3次〕沖津宮・中津宮・辺津宮諸施設
期 間
平成25年~
3ヶ年を1期とし、3次に分けて実施
工事総額
19億円
募金要項
奉賛金は神社の社頭等でお願いしていますが、銀行を御利用の場合は、2,000円よりお願い申し上げます。尚、御奉賛額に応じて記念品を授与しております。
銀行振込
ゆうちょ銀行
加入者名 宗像大社平成ノ復興期成会
口座番号 01790-1-73183
問合せ先
宗像大社造営室
趣意書
天皇の祖先神、天照大神の御子神である田心姫神、湍津姫神、市杵島姫神の宗像三女神は、天照大神の神勅により宗像の地に降臨され、皇室国家の守護神として、沖津宮・中津宮・辺津宮に祀られております。その創建の歴史は、「日本書紀」神代の巻にもあることから、宗像大社は全国八万の神社の中でも、有数の古社とされています。さらにその御神徳は、あらゆる道を司る神「道主貴」としても広く崇敬され、宗像大神は全国六千余社に祀られております。
沖津宮が鎮座する沖ノ島においては、大和朝廷による国家祭祀の斎場ともされ、そこからは戦後の三次に亘る発掘調査により、八万点に及ぶ各時代の超一級品の神宝類が出土し、それらは全て国宝に指定されております。中には、ペルシャからシルクロードを渡って伝わったものもあることから、沖ノ島は「海の正倉院」とも称され、この地がいかに重要なところであったかが、古代祭祀の痕跡から立証されております。
昭和十七年に結成された宗像大社復興期成会においては、このような宗像大社の歴史を明らかにするため、二十四年の年月を費やして『宗像神社史』を編纂、昭和四十六年には大規模な境内整備「昭和の大造営」がなされ、宗像大社に新たな息吹が吹き込まれることとなりました。
しかしその後、四十年余りの歳月が経過したため、本殿及び拝殿をはじめとする各諸施設に傷みが見受けられるようになり、修理修復の必要性が生じてまいりました。
平成ノ復興期成会においては、かかる境内整備を執り進めることによって、皇室国家の守護神である宗像大神の御神威の発揚に努めてまいる所存であります。各位におかれましては、趣旨御理解の上、格別の御協賛を賜りますようお願い申し上げます。
会 長 | 出光 昭介 | 出光興産 名誉会長 |
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副 会 長 | 松尾 新吾 | 九州電力 特別顧問 |
長尾 亜夫 | 西日本鉄道 相談役 | |
出光 芳秀 | 新出光 顧問 | |
常任理事 | 石原 進 | 九州旅客鉄道 特別顧問 |
柴田 建哉 | 西日本新聞社 代表取締役社長 | |
理 事 | 谷井 博美 | |
監 事 | 遠藤 恭介 | |
宮本 光夫 | ||
参 与 | 麻生 泰 | 麻生 代表取締役会長 |
伊東信一郎 | ANAホールディングス 特別顧問 |
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永田 理 | トヨタ自動車九州 代表取締役社長 |
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鍋島 英幸 | シグマクシス 取締役副会長 |
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横江 友則 | スターフライヤー 代表取締役会長執行役員 |
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島田 隆士 | 福岡運輸HD 最高顧問 | |
麻生 渡 | 福岡県元知事 | |
吉田 益美 | 宗像市議会元議長 | |
城野 正雄 | 宗像大社氏子会会長 | |
木村 久 | 宗像祖霊社信徒会会長 | |
桑村 勝士 | 海洋神事奉賛会会長 | |
安部 達也 | 宗像大社氏子会副会長 |
辺津宮末社保存修理工事
令和三年七月一日、津加計志神社(四道福松神社、祓方遠賀堺神社、山口御口代神社、須多田神社、加津浦神社 合祀)の保存修理工事に伴い、仮殿遷座祭が斎行された。
屋根替え、木材腐朽部分の取替え等が行われる。
祈願殿 竣工
「平成ノ大造営」第三次の一大事業であった新・祈願殿が竣工した。
竣工に至るまでは令和元年十月十一日に旧斎館解体清祓、令和二年六月十一日の地鎮祭、同十月に上棟祭、令和三年六月一日の新殿祭と諸祭儀を重ね、約二年をかけての建設事業であった。
辺津宮摂末社 大神神社・貴船神社 正遷座祭
令和三年二月二日、大神神社(河上神社、五位神社、只下神社、御衣代神社、津田神社 合祀)、貴船神社(犬王丸神社、四道神社、小野井神社、息直神社、原比女神社 合祀)の正遷座祭が斎行された。
斎館新築上棟祭
令和二年十月二十六日、斎館新築上棟祭を斎行。
古式に則り、検知役が測定し博士杭の位置を定め、振幣役が幣を左右左と振りながら「千歳棟」と唱え、参列者は「エイ・エイ・オー」と唱えながら三度綱を曳き、次に槌打役が「オー」と応え三度棟木を打った。この所作を「万歳棟」「永永棟」の掛け声にあわせ計三度行い、棟札が奉祀された。
辺津宮末社保存修理工事
本工事は、令和二年より三~四年をかけて、末社二十二社の銅板屋根葺き替え、腐朽部分の取り替えを行う。本格的な修理は、昭和四十年代に行われた「昭和の大造営」以来、約五十年振りである。
斎館新築工事
令和二年六月十一日、斎館新築に伴う地鎮祭が斎行され、工事関係者参列のもと祭典は滞りなく行われた。これは平成二十五年から進めている大造営事業の一環として当初より計画にあるもので、三宮の社殿修復を経て、今回着工する運びとなった。
辺津宮末社保存修理
辺津宮末社仮殿遷座祭
令和二年六月一日午後八時、辺津宮本殿を取り囲むように鎮座する末社二十三社の保存修理工事に先立ち、ご祭神に仮殿へとお遷りいただく仮殿遷座祭が行われた。
本年は、三社の修理となり、仮宮をはじめ大神神社外五社、貴船神社外五社の工事が始まることになり、二社のご祭神には工事の間、末社宇生神社に御遷りいただく運びとなった。
沖津宮遷座奉幣祭
平成30年10月13日、沖津宮遷座奉幣祭が晴天のなか沖ノ島に於いて斎行された。本年3月に修理工事がはじまり10月初旬に完了。
神様の仮のお住まいのから新たな本殿にお遷り戴く「遷座の儀」が午前11時斎行され、13時には関係者の参列のもと、天皇陛下からの幣帛を奉る「奉幣の儀」が斎行され、夜にはロイヤルホテル宗像で直会が行われた。今回の修理は昭和39年の屋根葺き替え以来のものであり、経年劣化や白蟻による木部の被害が著しかった。
修理完了した沖津宮社殿
沖津宮社殿保存修理
平成30年2月の仮殿遷座祭を終え、3月から沖津宮社殿修理が始まった。足場を組み、素屋根をかけ、屋根の銅板剥ぎの工事は、時化で渡島できなかったり、資材の荷揚げに時間を要したりして予定り進まないが、8月末の完了を目指している。
平成30年4月末現在
第二宮・第三宮修復工事完了
平成29年3月から修復を行なっていた、第二宮・第三宮の工事が完了し、9月15日に遷座祭、翌16日に奉祝祭を執り行い、一般の方に開放された
遷座祭
第二宮・第三宮修復工事の近況
屋根葺き替えを終えた銅板が現在、新緑に光輝を放っている。木工事は伊勢神宮の古材を用いて、本殿鞭懸け(むちかけ)の取り替えや棟持ち柱の根継ぎ、幄舎腰板の取替えなどが施工されている。今後は瑞垣(みずがき)、鳥居の造作が行われ平成29年8月末には竣工予定である。
勅使館完成
平成29年9月、勅使館が完成した。短い工期であったが、機能的な建物として生まれ変わった。勅使館は、第37回全国豊かな海づくり大会で行幸啓される天皇皇后両陛下が最初に使われることとなる。
勅使館新築工事進捗状況
平成29年4月25日上棟。鉄骨造り(一部木造)平屋、延床面積約111坪。平成29年9月竣工に向け、順調に工事が進められている。
上棟時
第二宮・第三宮修復工事進捗状況
社殿の屋根の銅板剥ぎが行なわれた。今回の屋根工事には、社頭の参拝から奉納戴いた銅板約5000枚が用いられている。
修復中の第三宮
第二宮・第三宮修復工事はじまる
平成29年3月1日に仮殿遷座祭を終えた第二宮・第三宮の修復工事が始まり、幄舎の曳家工事と瑞垣の解体がなされた。現在の社殿は、伊勢神宮の第60回式年遷宮の際、別宮の古殿が特別に下賜され、昭和50年に移築再建されたものであるが、今回は第62回式年遷宮の古材によって大規模な修復工事が行われることとなる。
勅使館新築工事はじまる
平成28年末に解体した勅使館の新築工事がはじまった。着工に先だち平成29年2月1日、宮司ほか当社職員と工事関係者参列により地鎮祭が執り行われた。設計監理は種村強建築設計、施工は溝江建設株式会社、工事期間は平成29年2月~9月(8ヶ月)。
地鎮祭
基礎工事
沖津宮社殿保存修理
平成30年2月の仮殿遷座祭を終え、3月から沖津宮社殿修理が始まった。足場を組み、素屋根をかけ、屋根の銅板剥ぎの工事は、時化で渡島できなかったり、資材の荷揚げに時間を要したりして予定り進まないが、8月末の完了を目指している。
工事後
工事前
勅使館解体工事
勅使館建替えに伴う解体工事が平成28年11月15日から始まり、12月7日に終えた。解体された勅使館は、昭和46年辺津宮本殿遷座祭の勅使参向に併せて建設されたものであるが、老朽化により建替えすることとなった。
解体後
解体前
第二駐車場トイレ竣工
参拝者の受け入れのため、第二駐車場にトイレを新設。構造は鉄骨造、男女共に車椅子優先トイレを設置。
放水銃調整・水圧試験を実施
辺津宮本殿・拝殿保存修理に併せて防災施設が整備され、新たに設置した3機の放水銃の調整・水圧試験を文化財防火デーの平成27年1月26日に実施した。
本殿東側の放水
本殿裏の地上式放水銃
拝殿西側の高所式放水銃
奉幣祭
12月9日午前8時、遷座の後の初めての神饌をお供えする御饌祭を執り行い、同10時より奉幣祭が斎行された。天皇陛下よりの幣帛を宮司が神前に奉り祝詞奏上。次いで神社本庁幣供進、神社本庁使が祭詞奏上。主基地方風俗舞及び悠久舞の奉奏の後、約3百名の参列者を代表し、責任役員の松尾新吾氏が玉串を捧げ、全ての祭りが納められた。
本殿遷座祭
43年ぶりの本殿遷座祭、遷座の儀と奉幣の儀が平成26年12月8日、9日に斎行された。当日は午後4時頃には雨が降り、風が吹きだし、天候が心配されたが、祭典開始の午後7時20分には天候回復。宮司以下、総勢65名の奉仕員が参進、境内の明かりが消灯され、参列者は約200名。午後8時「遷御」の声で出御。浄暗に松明の灯りが先導するなか、宗像大神は本殿にお鎮まりになられた。雲に隠れていた満月が祝福するかのように顔をだし、月明かりに照らされた御本殿は輝きを放っていた。
遷御の列
遷座祭前日
寒風吹きすさぶ厳しい天候の中、社殿及び境内清掃、雨儀廊の設営、控え室テント等の準備を整え、平成26年12月7日午後5時、新装束を着装した神職が祓所で川原大祓。神宝、奉遷用具を祓い清め、遷座祭前日の諸儀を終了。
新殿祭
12月6日午前11時
清祓の儀
12月6日午後2時
清祓の儀 本殿、拝殿
清祓の儀 雨儀廊
遷座祭に向けた準備
遷座祭に向け、風雨の対策のための諸準備。
洗清の儀
12月1日午後2時、洗清の儀。新たな社殿を洗い清める儀式。漆で塗られた回廊や階段は、箒や雑巾で掃除をすると傷が残るため、羽毛のようなもので拭うよう掃除。
辺津宮本殿・拝殿修復を終える
平成25年9月より1年以上にわたる修復工事を終え、平成26年12月8日午後8時には遷座祭、翌9日午前10時には天皇陛下からの幣帛を奉る奉幣祭が斎行される予定である。
本殿東側
本殿東側授与所上
座祭まであと1ヶ月
遷座祭まであと1ヶ月となり、塗装工事は未だ工事中であるが、屋根葺き工事等は完了、本殿・拝殿を覆っていた囲いが徐々に解体され、新たに葺きあげられた屋根が見られるようになってきた。
津宮 本殿・拝殿
工事完了まであと1ヶ月
平成25年9月からの工事も11月末には完了となります。本殿と拝殿の間にある「渡殿」も修繕され、社殿の屋根は社頭で参拝者から奉納された「さわら板」も使われた。
本殿屋根の千木、鰹木の取付
箱棟、千木、鰹木は銅板に包まれた後、黒漆で塗装
本殿屋根葺き完了
本殿屋根は葺きが終わり、現在箱棟の取り付け作業中。
辺津宮本殿の塗装工事(木地固め)
木地を削って平らにし、この後、漆を塗り高欄を取り付ける。
辺津宮本・拝殿工事進捗状況
拝殿の鬼瓦と棟瓦の取り付け
丹塗りの上塗り
辺津宮本殿屋根も葺き替えはじまる
辺津宮本殿・拝殿は国の重要文化財指定のため、文化庁の指導により工事が進められている。
屋根葺きを終えた拝殿
辺津宮本殿・拝殿を守る
避雷針の取り替え
40年前の避雷針
新しい避雷針
高さ28mの足場
高さ2mからの眺望
拝殿屋根の葺き工事が始まる
屋根葺き
本殿から見た作業風景
修繕前
こけら葺解体後
葺き終えて新しくなった屋根
防災施設工事
本殿修復工事にあわせ、老朽化した防災設備の本格的な工事が始まる。
平成26年10月~12月の工事進捗状況
本殿は昭和46年の解体修理以来42年が経過し、杮葺きの屋根は平葺・軒付ともに全体的に摩耗、葺込銅版が露出。拝殿の屋根は平成7年に葺き替えられていたが、葺込銅版がなかったため、板の暴れや腐朽が著しく、一部には鳥害の破損もみられた。平成17年の福岡県西方沖地震により床板に隙間が生じたため、全ての床板を剥がして修復。
本殿
拝殿
本殿の瓦の一部
床板修復
素屋根に覆われた本殿拝殿
本殿・拝殿が素屋根で覆われる
平成25年9月20日に工事安全祈願祭を斎行の後、約1か月で本殿・拝殿が素屋根で覆われた。
仮本殿完成
平成25年8月末に仮本殿が完成。平成26年12月まで宗像大神には仮本殿にてお鎮まり戴く。
仮殿地鎮祭
辺津宮本殿・拝殿の修復に先立ち、仮殿の建設が始まった。
平成25年7月4日
午前10時 仮殿地鎮祭
仮殿は本拝右側、8月末には完成予定